マジヤバイ!!HIPHOP・MUSIC
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現代HIPHOPの大まかな歴史KRS ONEの話から抜粋スタイルだな。DJ・ハリウッドとかがそうだったように。それでその後、MCの部分が別になっていった。そのころは、<DJはだれそれで、ゲストはだれそれ、 さあ、騒ごう>って具合に、現場でなにが起きているかを説明する役がMCだった。これがオリジナルMCだ。で、ライムが複雑化していき、定形化していった。 それで、当時、MCってのはグループという形でしか存在してなかったんだけど、その後にソロのMCが登場してきた。そのころにソロでやってたMCは、インテリ系 の連中しかいなかったんだ。クール・モー・ディー、メリー・メル、、、、彼らはみんな教育を受けていた。そうでない者はグループを組んでいた。 そして、T・ラ・ロックの登場だ。彼の”It's yours”から、ライムの語彙が豊富になっていったんだ。ライムのスタイルも彼の登場で変化した。つまり、 オフ・ビート・スタイルってことだ。彼が登場したことにより、ラキム、ビッグ・ダディー・ケーン、そして俺(KRS)みたいに、いろいろな言葉をオフ・ビート で使うようになったんだ。それ以来、リスナーは、ライムがオフ・ビートであるか、オン・ビートであるかということに興味を持ち始めた。俺達の世代はこのスタイルだったんだ。 「実際ヒップホップにとって重要だったのは87年じゃない。87年はさしずめ <インディー・レーベル最後の年>ってところかな。77年くらいからラップってもんがポピュラーになり始めていったわけだが、それまでのヒップホップはインディーが支配していた。 エリック・B&ラキム、ジュース・クルー、PE(パブリック・エネミー)、、、、それで87年、メジャーがマイナーにとって変わったんだ。 デフ・ジャムがソニーと契約し、LL・クール・JやPEもビッグになり、、、、、87年にはスコット・ラ・ロックも殺されちまって、その年俺はジャイブと契約したし。あの年を境に、ヒップホップのすべてが市場とか産業とかいうものに組み込まれていったんだ。だから、ある意味で、87年はすべてが変わった年と言えるんだよ」 「83年から90年がヒップホップにとって一番素晴らしい時期だった。つまり、ラン・DMCからNWAの登場までの間ってことだ。NWAの登場でですべてが変わってしまったんだ。 彼らの登場で、西海岸だ東海岸だという争いが生じた。そして、それまでBDP(注2)やPEが作り上げてきたコンシャスなスタイルが、ギャングスター・イメージにより吹き飛ばされてしまった」 そして彼は、80年代後半から急激に拡大したウエスト・コースト産ヒップホップの市場シェアと、96年に激化したイースト/ウェスト・コースト対立(注3)の原因を分析して見せる。「とにかくこれに関しては、ニューヨーク・サイドに問題があったと思うんだ。ヒップホップはニューヨークから始まったものだし、当初 ヒップホップはニューヨークの独占状態にあった。だから、ニューヨークのBボーイたちは他の場所のヒップホップに対してリスペクトしようとしなかった。 ニューヨーク出身じゃなけりゃヒップホップじゃないってね。そこで、NWAが西海岸から出てきた。すると、アメリカ全体が<イェ-ッ!>って感じで支持したろ? <いままでさんざんディスしてくれたな。今度は俺たちがニューヨークをディスする番だ>ってね。だから今、スヌープ・ドギー・ドッグなんかが ニューヨークをディスしてるんだ。要するにニューヨークの連中は自分たちで喧嘩をふっかけていたんだよ」 (注釈・ 1、70年代からHIPHOPの歴史は始まっている。ブロックパーティーと呼ばれるニューヨークの地元のイベントでDJ・ラッパーが生まれた 2、BDPとはブギー・ダウン・プロダクションの意味 KRS ONEが所属していたHIPHOPのクルー 3、96年の事件は私(安原)もリアルタイムであった。2パックと、ビギーの喧嘩が激化し、ついには両人とも殺されてしまった
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